眼の健康とコンタクトレンズの専門医 医療法人社団 広辻眼科

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広辻眼科マンスリー 第m57

投稿日 2010年11月1日

坂本竜馬から百五十年

理事長 廣辻逸郎

NHK大河ドラマ竜馬伝で竜馬が活躍したのは1860年代ですから今から約150年ほど前になります。江戸の徳川将軍を頂点に各藩に藩主の大名。下に家老から足軽まで。そして士農工商と階級をつけての当たり前の300年続いた時代を変えた大革命が明治維新ですが、今回は政治でなく生活を見てみました。
竜馬が土佐から四国を縦断して京都に何日で着いたでしょうか。海路も使ったでしょうが長州・薩摩の往復も現代の感覚では理解出来ない程時間がかかったでしょう。。竜馬から60年後に生まれた私の時代でも大阪から東京へ行くのに駅まで送って行きました。10時間以上掛っていましたが、1930年超特急つばめが8時間20分で走りました。昭和40年代年東京での学会には夜行の銀河で早朝東京着。会場に直行してまた銀河の夜行で神戸に帰り仕事しました。それも現在新幹線のぞみが2時間半10分おきに走っております。リニアもそこまできています。
電話も各家に付いたのも1960年〈昭和40年〉代です。その固定電話より携帯を持って当たり前。それも電話よりメール・写真・ショッピングからJR座席の購入その他知らない機能が一杯あって学校も会社も携帯を忘れたら仕事にならない時代です。
明治に入って、国は教育と医療に力を入れ、特に義務教育で中には子守りをしながら学校に通った子どもいました。お蔭で世界に冠たる識字王国になりました。その教育基礎に教育勅語がありました。戦後教育勅語も無く、憲法改正もあって家族制の廃止、個人主義・権利主張その他の影響もあって随分と社会が変わりました。戦後60年その影響が顕著に出て来ました。
医療も公立病院の設置で明治以降改善されましたが、健康保険制度もあって、医療費についても、公私の差は無くなりました。僻地だけでなく中都市の公立病院まで閉鎖されていることは公立でなくてはという意義が無くなったことを示していましょう。
先月東京に行って,改めて万事東京に集中していることを痛感しました。政治・経済・文化関西はあらゆる部門に差を付けられました。逆に宝塚に帰ってホッとした感じもありました。
もう一点。石川県に行きました。金沢の隣の駅で、何十年ぶりかに駅に降りますと、すっかり変貌して、ビルが建ち大きな道路が付けられています。それだけでなく、加賀平野の真ん中の農家が減って,十軒のうちの大半が農業を辞めて会社員になっていることでした。うんと山奥でない交通至便な土地の田んぼが無くなって行く日本農業の将来はどうなるのでしょうか。
一見豊かそうで、内政外交難問だらけの日本。弾丸の飛ばない戦争中と考えるべきでしょう。

健康とは! 日本人の健康志向

日本人の平均寿命は平成20年統計で男79女86歳です。総人口1億2700万余 65歳以上が約22%です。 70以上2020万 悪評高い75歳以上後期高齢者が1320万 まだ老人が増加すると予測されています。
75歳は昭和10年生まれで成長期一番お腹の空く時期に都会住まいでは食べ物が無く、飢じい思いの毎日でした。衛生環境も極度に悪く、停電も日常化しておりました。お米の代わりに赤砂糖が配給されると、早速どの家でもカルメラ焼きを楽しみました。メリケン粉が続くと、押し入れの布団でイースト菌を培養し、ニクロム線の電熱器で焼いたパンの出来上がりを批評しながら家族で食卓を囲みました。
農作業も機械化されていませんから腰の痛みを庇いながら力仕事に従事し、学生のアルバイトも今のようなファーストフードや家庭教師の口はありません。ムスケルアルバイトという力のいる労働です。またまだ伝染病や結核の脅威をかいくぐって来た人達でもあります。でも世界一の長寿国になりました。
現在その頃に比べて衛生環境・食品・医療なんと向上したことでしょう。産地を確かめ、製造日から添加物にも眼を通します。更にサプリメントを求めます。この市場は昨年6200億と発表されていますが、連日のテレビ新聞広告からそんな生易しいものでなく2兆円は越していましよう。前にも書きましたがサプリメントは薬品でなく食品の部類で、成分の規制を受けません。効果に関係なく広告の規制も受けません。
敬老の日に100歳を越す老婆が「食べるのが一番の薬です」と答えていたのが印象的です。今月の文春に医療問題の特集が組まれていますがお薦めする記事はありませんでした。
長生きをして何をする。何がしたい。一体私は何をしてきたか!