いずれがあやめか杜若
院長 廣辻徳彦
先月は藤の花について書きました。今の暦では「5月に藤」で間違いはないのですが、若い人があまり遊んだことのないと思われる花札では藤は「4月」の札です。任侠映画や賭博のイメージもあるせいか、私の世代でも花札でよく遊んだということはありません。それでも昔から花札を作っている会社といえば、「任天堂」であるとは知っていました。GAMEBOYの発売から家庭用ゲーム機の大手となり、今や「Switch2」の抽選販売が話題になっていますが、今でも花札やトランプを作っている会社です。「サマーウォーズ」というアニメ映画では、花札の遊びである「こいこい」が重要な局面で描かれていました。公開当時も「こいこい」自体を知らない人がいたのではと思います。今のタブレットやゲーム機の遊び方とは全く異なりますが、カードゲームも結構楽しめるものかと思っています。家庭内で別々に過ごすのではなく、トランプや花札などで家族団欒を実践するのもいいのではと思います。
花札で5月(今の暦で6月)の札は「菖蒲に八橋」です。「菖蒲」は「しょうぶ」ではなく「あやめ」と読みます。ややこしいことに絵柄のモチーフは「あやめ」ではなく、「杜若(かきつばた)」の花とされています。菖蒲という漢字は「あやめ」とも「しょうぶ」とも読めるのですが、花の咲く「しょうぶ」は正確には「はなしょうぶ」と言い、端午の節句に菖蒲湯に使われる菖蒲(ショウブ科)とは違う植物です。「あやめ、はなしょうぶ、杜若」は、すべてアヤメ科の植物で見た目がよく似ています。ですが、花びら(外花被)の付け根の色合い、葉の形状、咲く(生えている)場所で鑑別ができるようです。あやめは花びらに編み目のような模様があり、葉幅は狭目、陸地に生えます。杜若の花には白い筋があり、葉幅は広め、生えているところは水中です。はなしょうぶの花には黄色い筋があり、葉幅は中間ぐらい、水際に生えます。花の咲く時期にもずれがあり、あやめは5月中旬から6月、杜若も5月中旬から、はなしょうぶは6月から7月だそうです。これから梅雨になりますが、6月は「はなしょうぶ園」へお出かけするのもいいでしょう。
世間では、「令和の米騒動」が少しでも落ち着くかが注目されます。市場での不足の原因は、卸売のあたりで価格を見ながら米を溜め込んでいるせいだと思われます。できれば、消費者も納得できて農家さんにも生産意欲が湧くような適正価格に落ち着いていって欲しいものと思います。
健康とは!(健康には気をつけよう)
藤の花や菖蒲についてのことでも、調べ物をしていると新しい知識を得ることができ、逆にこれまで思っていたことが間違いだったと気づくこともあります。花札で6月の10点札は「牡丹に蝶」、こいこいの役では「猪鹿蝶」に使われる大事な札です。牡丹には「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という言葉があります。今時のジェンダー的観点からはご容赦いただきたいところですが、美人の形容に使われている有名な言葉です。詳しい出典はわからないようですが、1776年(安永5年)の「無論里(ろんのないさと)問答」という書物の中に、「立ば芍薬座居(とい)すりゃ牡丹あるき姿は山丹(ゆり)の花」という何かを元にした替え歌的なものとしての記載があったようです。替え歌の原典など詳細はわからないようですが、七五調で語呂も良いので昔からの美人の形容句だったと考えるのが妥当なのでしょう。ただ、他に「元々は生薬(漢方薬)の用い方をたとえたものである」という説明もありました。「立てば」はイライラとして気が立っている状態、「座れば」は座ってばかりいて血液の流れが悪くなること、「歩く姿は百合の花」はゆらゆらと歩いている様子を指すとのことです。芍薬の根は生薬として気分が落ち着かせる効能があり、座って腹部に血液が滞った状態は牡丹の根の皮の部分(牡丹皮・ぼたんぴ)により改善され、ゆらゆらする心身症のような状態には百合の球根が効くということを意味しているのだそうです。少しこじつけ感があり、個人的には生薬の方が後付け的解釈のように思います。
5月のある日、大学時代のラグビー部の後輩が急逝したという知らせを受けました。医学部は6年制なのですが、私が6回生だった時に入学してきた後輩です。6回生は国家試験があるので実質数ヶ月間一緒に練習しただけですが、卒業してからも仲良くしていた後輩でした。さすがに最近は数年に一度会うかどうかという状態でしたが、たまたま4月の土曜日に歳が近い仲間で集まる会があり、懐かしい思い出話をしたばかりでした。自宅で倒れ、救命センターにすぐ運ばれたのですが、意識が戻らなかったそうです。急性心筋梗塞だったそうです。まだ57歳、お通夜だけ参列させていただきましたが、何百人もの参列者があり彼の人柄が偲ばれました。病気、事故、災害など明日のこととでなく一瞬先の安全も約束されているわけではありません。自分は大丈夫と思って病院への受診は後回しにしがちですが、このように本当に悲しいことがあった以上、機会を見つけて身体のチェックをしておかねばと考えさせられました。