敬老の日
理事長 廣辻逸郎
戦前の多くの日本人は貧乏でした。周りがみんな同じようだったから貧乏だからとそんなに卑下もしなかったし、お互い融通し合って生活していたようです。また私も子どもでお金に直接かかわらず、近所の子ども同士「あの家は万長者や」なんて話す程度でした。我が家も『貧乏人の子沢山』の例に漏れませんでしたが、その時期子どもは他に興味のあることが一杯あって貧乏をそんなに意識せず日暮れまでよく遊びました。収入の少ない父はおくびにも弱気を吐かず、『清貧に生きよ』とか『武士は食はねど高楊枝』と諭し、『先憂後楽』そのほか色々と四字熟語を言って精神教育をするのでした。そんな父に対し、母は食べ盛りの子ども達の食欲を満たすべく、特に戦争末期食料品が乏しくなると終日食べることの為に動いていた姿が記憶に残ります。難しいことは何も言わず兄弟喧嘩はするがまま。勉強をしなさいと一度も聞いた覚えはありません。ただ子どもが病気をするととても心配な顔をして重湯を作ってくれました。特別扱いされるのが嬉しく、また羨ましいことでした。父の格式ばった言葉と違った母の時に応じて『仕事大勢うまいもん小勢』『貧すりゃどんす』とか『餅屑と女の残りもんは無い』と何故こんなつまらない?言葉を覚えているのか不思議なくらい、夜繕くり物をしていた母の姿と共に思い出します。
9月20日は敬老の日です。『多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う』ことを趣旨として制定されています。だが老人に関する現時点の記事はもう目を覆うことばかりで、ミイラになったり砕かれた骨になってリュックに詰められたり、役所の台帳には幕末の生まれが残っていたり、そして何時までも死なない年寄りの医療・看護費をどうするのかの話ばかり。年金台帳死亡台帳等役人への不信。老人を敬愛する心が日々薄らいでいく国民。『貧すりゃどん〈貧〉す』悲しいかな実感します。少しでも明るい笑える話を綴りたかったのですが残念ながら今月も暗い話になってしまいました。
健康とは! ラジオ体操
8月末NHK巡回ラジオ体操が宝塚市末広公園で開催されて、市民約2,000人が参加しました。私は家で体操しました。日頃身体を動かすことが少なくて、体がカチカチで見られたものではありません。日本でラジオ体操が始められたのは1928年11月1日ですから、1933年小学校入学の私は極初期から世話になっていたことになります。夏休みはハンコを貰うカードを持って、近くの江戸堀大阪教会の庭に通いました。その後戦争が始まると国民の体位向上の為、各町内会で年中早朝の体操をするようになりました。真面目な軍国少年は、冬の寒い日も参加しました。(参加者はほんの2~3人です)そのあと、近くの氏神様京町堀の御霊神社に参り、ガスビルから御堂筋を北に、中之島公園をぐるっと回って帰宅するコースを歩きました。70年も昔の話で今は体操もすっかり忘れてしまいました。
尚今回の宝塚市でのラジオ体操で、手塚治虫に因んでアトム体操が披露されたそうです。私と違って皆さんは随分と健康には時間とお金も使われて、連日ジョギングで汗を流し、スポーツジムに通って体力保持に懸命です。当院に94歳で毎日千メートル泳ぐ患者さんがおられます。
体操・水泳・ジョギングが直接長命に繋がるわけではないでしょうが、運動に心がける方は少なくとも日々の食事・飲酒・睡眠等に注意され健康にプラスされましょう。
昭和の初めから連綿と続いて国民に親しまれているラジオ体操。体を柔軟にすることで、頭も柔らかく、幾つになっても心身ともに若々しく過ごしましょう。