マンスリー150号になりました
理事長 廣辻逸郎
平成18年(2006年)3月にマンスリー創刊号を出しました。私が宝塚で開業したのは昭和38年(1963)10月山下橋手前で狭い部屋で暗室も取れない診療所で診療を始めました。人口7万人市内眼科医は3人で病院に眼科はありませんでした。狭くてやや不便な場所でしたが近辺だけでなく仁川・山本・西谷の開業先生からの紹介もあって沢山患者さんが来院されました。市内人口も毎年一万人ずつ増え、小中高校も増設されました。丁度売りに出ていた現在地に 昭和51年(1976)11月 新築移転しました。開業13年目になります。
暗室も広くなり検査機器も揃え、待合室もゆっくり待っていただけるようになりました。時代はどんどん変わります。日本人の生活環境も激変しました。眼科の病気も診療内容も変わり、国民病であったトラコーマの患者を診ることがなくなりました。診察室から眼科の看板洗眼台がなくなりました。長寿になるとともに白内障で視力低下が増えましたが眼内レンズの進歩や手術器具方式の進歩で日帰り手術か可能になって、多くの高齢者が失明から救われました。
広辻眼科も平成19年(2007)院長が変わって手術を行っております。緑内障・眼底疾患も検査機器の進歩で早期に精密に検査出来て失明から救われることが多くなりました。
現在診療はすべて院長に任せ私は直接患者さんを診ることはなく、お会いすることも少なくなりましたがマンスリーを通じて橋渡しの役を続けております。表紙は私が、第2面に院長が眼科の病気全般に亘って解説しております。詳細な説明で難解に思われるかもしれませんが、不明な点は遠慮なくお聞きください。
逆瀬川に眼科医院を開設して55年。 開院時7万人の人口も23万。眼科診療所は17医院 病院3.眼科医25名です。長尾山連山は砕石採取として削られて跡地はマンション群や住宅地になって変貌しました。温泉街はなくなって現在温泉宿は2軒のみ。温泉旅館と保養所はマンションに建て替わりました。東洋ベアリング・チバガイギー薬品・日本ハム・ウイルキンソンも移転し、人気のファミリーランドもなくなって仁川競馬場と宝塚歌劇場だけです。瀟洒な宝塚ホテルは南口から終点に移転します。温泉と歌劇と商売の神さん荒神さん。腹帯の中山寺。観光・植木と静かな住宅地宝塚の変わり様をバックに広辻眼科の歴史もしるしました。今後世界情勢も、日々の生活も医療内容も大きく変わりましょうが皆様の健康を祈り診療に努力します。
健康とは! 閑さや岩にしみいる蝉の声 芭蕉
早朝蝉時雨に起こされる時季になりました。今年7月は猛暑が続いて連日38度を越し、7月末には熊谷市で41.1℃という記録が出ました。太平洋高気圧とシベリア高気圧の二重の高気圧にすっぽり本州が覆われてこの気象になったそうです。1週間の間に熱中症で2万人以上が搬送され100人近く死亡しています。大半が70歳を越ししかも室内で亡くなって、クーラーを使用していなかったと報道されています。
夏の風物詩蝉も余りの高温に地下から出て来なかったのか、出てきても余りの暑さに木陰で休んでいたのでしょう。親蝉が枯れ木に産卵し、羽化して地下に潜り、木の根っこの養分を吸って6年もそれ以上も地中で生活し、やっとの思いで地上に出てきて短期間でー1週間位ー死んでしまうなんとはかない一生かと思っていましたが、実際はもっと長く1か月は生きているそうです。それにしても地下生活の長さに比べて地上の生活は何と短いのでしょう。でもオスは思い切り羽を擦ってメスを呼び、メスもまた産卵出来るから蝉の一生としてはいいのでしょう。
あらゆる生物動植物夫々子孫を残すために工夫しております。例えばタンポポは実を作ると風に飛ばして増やします。ある花は目立つ色で虫を引き寄せて花粉を受精に持って行きます。蜜を餌にするのもあります。サンゴの放卵は神秘的です。犬ネコの交尾期(メスの発情期)は年2回ですが人間は不定期です。蝉はどうして地下生活を切り上げて地上へ出ることを知るのでしょうか。地下にいても地上の季節気温を知ることが出来るのだろうか?蜘蛛の糸を40年以上研究して蜘蛛の綱を作った学者もいるからどなたか蝉だけを研究している方がおられるかも知りません。どの生物も心臓の鼓動を20億回打ったら寿命が尽きると発表している学者がおられる。短寿命の動物は鼓動が早く長寿命の動物は鼓動が遅いから長生きしているという。(ゾウの時間ネズミの時間 サイズの生物学本川達雄著 )その論から言うと人間の寿命は60~70になる。日本人女性86男性81は生活環境や食べ物が影響しているのでしょうが真偽の程は分からない。
蝉から話が逸れていきましたが、蝉の声を岩にしみいるしづけさに感じるか、ああうるさい騒音ととるか。
さて8月。高校野球が甲子園で。花火大会や盆踊りも。15日は戦没者慰霊式が武道館で両陛下も参列して行われます。改めて平和に過ごせる現在の日々も尊い犠牲者あっての上である事を銘記しましょう。