アウトドアの7月がやって来ました
理事長 廣辻逸郎
アウトドアの7月がやって来ました 理事長 廣辻逸郎
6月末まだ梅雨は明けていませんが暦は7月になりました。女子サッカーなでしこはオーストラリアに勝って4強に残りました。次のイングランドを降して決勝に進んで欲しいです。テニスの錦織選手もテニスの最高峰ウインブルドンに挑んでいます。スポーツ選手のあの必死の形相は凄いし、勝った時の笑顔は素敵です。特に化粧気もない娘の笑顔は万金に値します。燦々と照る太陽のもと山に海に出かけましょう。
父も若い頃山登りをよくして『近畿の山々』というガイドブックを出版し、利用の交通機関を紹介していました。(現在のような自動車の利用はない昭和初期です)夏に伊吹山に兄と連れてもらいました。途中何合目かで仮泊します。蚊帳が吊るされていましたが同じ部屋になった女性が父を気にしてか中々蚊帳に入ってこなかったことが何故か覚えています。閑話休題。翌朝暗がりに起きて山頂に登りご来光を拝みました。夏は夏休み初めに学校に集合して(大阪西区の小学校)市電と南海電車を利用し浜寺の手前諏訪ノ森海水浴場で水泳です。膝までの浴衣と下駄で昼までに帰校します。家からも父に連れてもらいました。海に入る前に炒ったそら豆の袋を腰に付けて泳ぎます。何度か海に入っている間に初めの固いそら豆が柔らかくなってくれます。当時の海はさほど汚くなかったと思いますが現在ではとても考えられないことです。海を上った後温かいあめ湯を買ってもらいます。子供の頃のほんとつまらない事が何時までも記憶の底に残っています。父との会話は何も覚えていませんが、何時も難しい顔で難しい事しか言わなかった父の大きな温情を感じます。
祇園さん天神さん祭の笛太鼓が響き、大きな花火が上がります。屋上ビヤガーデンも賑わいます。昼はスポーツで汗を流し夜は夜風に涼んで天上の星で夢を語り合いましょう。
健康とは! 時代の変遷と体格の変化
もう目新しい事ではありませんが、日本人の顔や容姿が戦前と戦後で変わってきていることは周知の事実です。私が小学生の頃(昭和一桁)は洟を垂らして二重橋とあだ名で呼んだり、おかめのようなと言っては叱られるけれど当時は申し訳ないが不細工な顔の持ち主もいましたが、現在の若者はみんなイケメンで女子も長身で鼻も高くきれいです。はな垂れは一人もみません。韓国人程整形手術も受けていないと思います。
もう40年ほど前になりますが、私もコンタクトレンズの処方をしていて、角膜の曲率半径といって黒目のカーブがレンズを処方しだした昭和30年初期に比べて大きくなっているのに気付いて、宝塚に来た昭和38年から10年間と以後10年間の統計を比較して明らかにカーブ値が大きくなって西洋人の値に近づいていることが分かって学会で発表しました。その時日本人の体格の統計値を調べたところ身長も伸びているが(現在170)座高が変わらないところから脚が伸びていること、そして足の大きさも変化していることをしりました。戦後の食事の内容や正座から椅子の生活への変化等が影響しているのでしょう。米人も往年のいわゆるヤンキーが減って肥満児が増えて昔の鬼軍曹のいる強いアメリカ兵の面影はなくなりました。
日本人の身長も源平時代から江戸時代も160までだったのに重い甲冑・兜で走るのは大変で骨太だったでしょう。戦争知らず重いものも持たず、柔らかく料理された物を食べていたら顎も張らずすらりとした体系に育ちましょう。色々と面倒な歴史や漢字を覚えなくても計算をしなくても全部スマホに任せたら頭も大きく重くならずに済むでしょう。ただ安全で満たされた環境に住んでいるその生物のところに異なった生物が入って絶滅危惧種になる生物もいます。四面海に囲まれて安全な日本人が危惧種にならないことを願っていますが100年後の日本はどうなっていることでしょう。