瞳の色について
院長 廣辻徳彦
新天皇の即位の儀や一般参賀などがこの連休中に行われました。それを取り上げたニュースでは、参賀の群衆の中に外国人の姿も見受けられたようでした。おそらくそれほど長くはない日本滞在でしょうが、日本人でも東京近郊に居住していないとなかなか出かけられないものなので、彼らの旅の良い思い出になって欲しいと思います。
さて、外国人と日本人などと区別して書いてしまいましたが、人類というくくりで考えれば日本人や外国人などという差は全くなく、同じだと言えます。遺伝子的には99.9%以上が一致しており、体の大きさ、肌の色、瞳の色などはその他わずかな部分の遺伝子の差だけで決まっているのだそうです。以下の話は非常に大雑把な書き方になり、本来の人類学からいえばあまりに不正確かもしれませんがご容赦ください。もともとアフリカ大陸で発生した私たちの祖先である現人類(ホモ・サピエンス)は、ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルタール)との生存競争ののち、彼らを駆逐しました。アフリカ大陸で発生したと考えられている現人類の祖先は、今でいう黒人です。その後、生活範囲を広げて北部のユーラシア大陸に移動した彼らは、環境に順応して変化します。アフリカに比べて紫外線の弱い環境に対して、紫外線を吸収してビタミンDを作れるように皮膚のメラニン色素を薄くなり皮膚の色が白くなって行きました。ユーラシア大陸の東へ移動していったグループのうち、比較的暖かい地域に暮らしたグループは古モンゴロイドと呼ばれた、少し低めの身長で彫りが深く二重瞼であった、日本では縄文人と呼ばれるものに変化します。ユーラシア大陸の東でアルタイ山脈を経由して北方の寒冷地へ進出した人々は、南方のグループより比較的体格が大きく、顔の凹凸が少なく(鼻が低い、目のくぼみが少なく一重瞼)、体毛が少ないという特徴を持つようになります。渡来してきた弥生人がこれに当たるとも言われています。本来の目の病気とは全く違う話になっていますが、肌の色、身長、体毛の濃さ、など細かな違いはあるにしろ、それは進化というより環境への適応などの結果によるもので、人類としてはほとんど一緒ということに変わりはありません。
さて、瞳の色にも様々な色があります。瞳とは言いますが、正しくは虹彩の色です。虹彩は外から光が入ってくる特にその量を調節するための、カメラでいうところの「絞り」に当る組織です。虹彩は毛様体、脈絡膜という組織とも繋がっていて、それら3つを合わせて「ぶどう膜」とも呼ばれています。虹彩には光を遮断するためにメラニン色素が含まれていますが、その色素の量が瞳の色に関係します。また、瞳の色に関連する遺伝子があることはすでにわかっていて、23対ある染色体の中で19番染色体にEYCL1、15番染色体にEYCL3という遺伝子があります。私たちは父母からそれぞれ23個の遺伝子をもらうのですが、そのどちらかのEYCL3が働けば「茶色」となり、EYCL3が働かない場合(変異と言います)でもどちらかのEYCL1遺伝子が働けば「緑色」になります。いずれの遺伝子もうまく働かなければ「青色」になるそうです。つまり、瞳の色は「持っているメラニン色素の量」+「茶、緑、青という遺伝子による色」で決まるということになります。瞳の色の表現をする際は、茶色や緑と書くよりも、なぜかオシャレに感じさせるためか、ブラウン、ブリー、グリーン、以外にヘーゼル(淡褐色)、アンバー(琥珀色)、グレーなどとカタカナで分類してあるものを見かけますが、瞳の色に対しての定まった分類はありません。ただ、メラニン色素が少ないと当然光を通過させやすくはなるので、光の強いところでは眩しく感じてしまいます。肌の色が薄い人は瞳の色も薄いことが多いので、白人にサングラスが必要になることは多くなります。
瞳の色が左右違っている場合もあります。特に病気ではなく生まれつきに左右差がある人もいて、これは白人に多いとも言われています。先天的な病気で、ワールデンブルク症候群というものでは、左右の虹彩の色が異なったり同じ目の虹彩で2つの色を持ったりします。病気やケガ、例えばぶどう膜炎などで虹彩が炎症を起こした場合に虹彩の色素が薄くなることがあります。緑内障の治療薬であるプロスタグランジン点眼(キサラタンやトラバタンズなど)では、虹彩の色素沈着が起こるので、片眼にだけ使用している場合に左右の虹彩の色に差が出ることがあります。左図は一般的な日本人の虹彩で、右図は先天梅毒という病気でぶどう膜炎になった後の眼です。白内障手術後のため瞳孔の形が正円形ではありませんが、2つの矢印のところの虹彩の色が違っているのがわかります。他に角膜に少し混濁(白矢印)があるのがわかると思いますが、これも先天梅毒の所見です。