令和元年を振り返って
院長 廣辻徳彦
「令和」という元号が始まった今年ですが、もう師走を迎えることとなりました。毎年1年が早く過ぎるように感じるのは歳のせいかもしれませんが、今年1年の出来事を振り返ってみたいと思います。
4月1日に新元号として発表された「令和」は5月にその幕を開け、それとともに新天皇が即位されました。即位の礼に始まった行事は11月のパレードまで続き、その後も新天皇と雅子妃は大嘗祭や伊勢神宮参拝などお忙しそうです。私にとっても新天皇は年齢が近く、浩宮様の時代から親しみのある印象です。天皇制に関しては否定的に捉える意見もあり、女性天皇についての問題もあります。ですが、一連の行事を通してみると、昔よりも皇室に親近感を覚えて肯定的に考える国民が増えているように思います。
今年は特に大雨や台風被害に見舞われた年でした。被害に遭われた皆さんは大変なことと思います。パリのノートルダム寺院と沖縄の首里城が焼失するという大事件も起こりました。原因は電気系統のショートとの報道もあります。特にノートルダム寺院はゴシック建築の代表的な建造物でしたので、歴史的意義を考えても残念な事でした。京都アニメーションのスタジオで36人もの死者と33人の重軽傷者(犯人除く)を出した最悪の放火事件も思い出されます。芸能界では相変わらず薬物使用が蔓延しているようです。スポーツでは日本中が盛り上がったラグビーW杯、来年の開催に不安が募る東京五輪、全英オープンゴルフで優勝した渋野選手、イチロー選手の引退の話題などで賑わいました。10月からは5年半ぶりに消費税が増税され、10%に上がりました。増税分を、福祉関連の予算にちゃんと回して欲しいものです。良くも悪くも続いている安倍政権が、「桜の会」問題を乗り切って来年も続いているでしょうか。お隣の国との問題もゴタゴタ続きの今年でした。101歳で中曽根元首相がお亡くなりになり、昭和の時代がより遠くなった感があります。
当クリニックでは、看護師が交代しました。「スポットビジョンスクリーナー(SVS)」という屈折値を測定する器械と、「Clarus500」という眼底カメラを購入しました。SVSは子供の検査で役立っています。Clarus500は解像度の良い広範囲の眼底所見を撮影でき、より高い精度で眼底観察ができるようになりました。
大小様々な出来事があるでしょうが、来年は(も?)平和で希望に満ちた「令和」であって欲しいです。
健康とは!(安楽死について-2)
先月は安楽死についての報道を2件ご紹介しました。そもそも安楽死とは何かを考えた時、一般的な理解としては、「終末期の患者に対して患者の明確な意思がある場合に、苦痛を伴わずに患者を死に至らせる行為」と言えると思います。安楽死の是非については個人でも国によっても様々な意見があり、意味としては上記の理解で正しいと思われますが、定義として定められてはいないようです。安楽死のの中で、「病気の回復方法がなく、死の直前で死を回避できない」、「患者の心身に耐え難い苦しみや痛みがある」、「現時点での治療以上に、その苦痛を取り除くための方法がない」「患者が明確に且つ自発的に死を選択する意思を持っている」場合に行われるものを積極的安楽死と呼んでいます。それに対して、「予防、治療、救命や心身状態の回復や維持をする治療方法は確立」しているが、「患者自身の明確な意思があってその治療をしない、もしくは中止をする」ことにより、結果的に死に至らせるものを消極的安楽死と言います。おそらくほぼ確実に治療のできる可能性の高い初期の癌で、これを選択をすることはないでしょう。発見時に手術適応がない進行癌で化学療法を始めたけれども、本人の明確な意思でそれを中止する場合はこれに当たります。脳卒中で意識がなくなって呼吸器で管理すれば生命は維持できるけれど意識は戻らない、という治療を望まないと普段から文書で書き記していて(いわゆるリビング・ウィル)治療を行わないのも該当します。この消極的安楽死は、厳密には全く同義ではないかもしれませんが、日本では尊厳死という言葉でも表現されています。
日本では積極的安楽死は法律的に認められていません。また、本人の意思表示がないまま生命維持装置をつけてしまい植物状態になってしまっていても、それを外すことは法に触れます。海外でも積極的安楽死が法で認められているのは少数派ですが、食べられなくなった人に胃ろうを作ったり、呼吸できなくなった人に呼吸器をつけて管理することが一般的でないので、社会的に消極的安楽死が受け入れられているように思います。安楽死の問題に正解はありませんが、誰もが考えるべきことだと思います。