遺伝性網膜ジストロフィの治療薬
院長 廣辻徳彦
眼だけでなく病気の治療にはさまざまな薬が使われます。ほとんどが健康保険で賄われて、薬の費用は日本全国一律に定められています。眼科の薬剤の中では、黄斑変性症や網膜静脈閉塞症、糖尿病網膜症に伴う黄斑浮腫などに対する抗VEGF剤が実績的に最も使用されています(1000億円以上)。抗VEGF剤は薬価が1回10数万円という高価な薬剤ですが、2023年に承認された遺伝性網膜ジストロフィに対する遺伝子補充療法に使用される「ルクスターナ」という薬剤は、1回の治療(片眼)で約4960万円(両眼で約1億円)という薬価が定められています。今回はその「遺伝性網膜ジストロフィ」という病気とルクスターナの治療対象となる病気について書いてみます。
遺伝性網膜ジストロフィというのは、遺伝子の異常が原因となって生じる複数の網脈絡膜の変性疾患の総称で、関連している遺伝子は現在300種類を超えることが知られています。最も多い病気は指定難病である網膜色素変性症という病気ですが、黄斑ジストロフィ、錐体杆体ジストロフィ、スタルガルト病、卵黄状黄斑ジストロフィ(ベスト病)、X連鎖性若年網膜分離症、オカルト黄斑ジストロフィ、レーベル先天黒内障、アッシャー症候群などに分類されています。遺伝の仕方も様々で常染色体顕性(優性)遺伝、常染色体潜性(劣性)遺伝、 X連鎖性遺伝などがありますが、家族の中で本人だけに発症する孤発例もあります。同じ病名でも全く同じ症状や重症度、進行度を示すわけではありません。日本では1500-3000人に一人の割合で発症し、患者数は5万5千人を超えると想定されています。網膜は眼に入った光を感じ取る器官で、その情報を処理して視神経を通じて脳に送る働きをしているので、この病気で網膜の機能が障害されると、夜盲、視野狭窄、羞明(まぶしく感じること)、視力低下や色覚異常などを生じます。この症状も病気の種類やその進行状況によってかなり大きな差があります。
代表的な網膜色素変性症については以前にも書いたことがありますが、網膜の色素上皮というところに障害が起こり、視細胞という光を最初に感じる細胞が変性、萎縮する病気です。眼底には「ごま塩状」といわれる色調の変化や網膜血管が細くなる所見、骨小体様色素沈着(黒くなっているところ)という変化が眼底の周辺部から現れ、さらには黄斑部にも変性が及びます(眼底写真参照)。OCTという網膜の断面図を見る検査で、下に示した正常と比べて細い白線の構造が乱れていること(白矢印:濃い3本の線が写っていない)と、黒く分厚い層がほとんどなくなっている(白の両矢印で示した範囲)のがわかります。網膜電位図(ERG)という網膜の光への反応を調べる検査でも正常(左)に比べて波形がフラットになっている(=光に反応していないことを示す)のがわかります。iPS細胞の活用など研究や治験は行われていますが、治療への応用はまだ時間がかかりそうです。
「ルクスターナ」という薬剤は遺伝性網膜ジストロフィーの中で「両アレル性 RPE65 遺伝子変異による遺伝性網膜ジストロフィー」という病気に限って用いられる薬剤です。この病気は「レーベル先天黒内障」や「早期発症型の網膜色素変性症」と診断されていることがあり、特徴としては、生まれつき(幼少から)強い夜盲がある、生まれつき(幼少から)視力も非常に弱い、常染色体劣性(潜性)遺伝形式(=両アレル性)であるということが挙げられます。RPE65遺伝子は、網膜の視細胞が物を見る機能に必須の「ビタミンA」を供給するための重要なタンパク質の1つであるRPE65タンパク質の設計図となる遺伝子です。この遺伝子の変異によりRPE65タンパク質が正しく機能しなくなると、視細胞にビタミンAが供給されなくなって光や物を見る機能が著しく低下した状態になります。ルクスターナによる遺伝子治療で正常なRPE65遺伝子を導入されると、ビタミンAの供給サイクルが動くようになり、視細胞の機能が復活するという理屈です。この病気を持つ人は日本で30-50人程度と推測されていて、さらに治療対象となるのはその中の進行しきっていない限られた人数(比較的若年者)になるのですが、欧米での治療では生活の質の改善などが報告されているので成果に期待したいと思います。