時代の変化についていけるだろうか
理事長 廣辻逸郎
テレビのクイズ番組を見ていると、こんな字が読めないのかこんな字が書けないのかと出演のタレントを笑っていたが、紫陽花が読めなくても、あじさいを漢字で書けなくても生活するのになんの支障もない。むしろスマホのアプリでゲームや歌を楽しむ方がずっと毎日を面白く過ごせる。それだけでなく知りたい情報や生活必需品の財布の役や乗車券の役割まで受け持ってくれているようだ。ようだというのは私自身スマホを使えてないので半ば羨望である。一日に十数時間スマホが手放せない中高生や学生は論外だが、スマホが使えない若者も問題だし、老人とて世の中から置いてけぼりになりそうで余計な心配をしている。
先日もNHKTVで室内の温度・湿度を感知してエヤコンが作動したり、某建設機器メーカーは世界中に販売された自社機器の調子を製造元に情報が入って早期に修理出来るようにしている等々PCやITの改良進歩で想像以上に生活環境が変わってきている。それに乗らないと生きていけないわけではないだろうが本人の知らない間に取り込まれていることが多くなっている。来年春にはマイナンバー制が始まって、生まれた時から死ぬまで完全に生活を捕捉される。自分が忘れていても何年何月何処に住んでいて○○医院でこれこれの薬を処方されていると認知される時代が来そうだ。
今年大河ドラマ『花燃え』の吉田松陰が活躍した1850年代は私の生まれる略70年前の話で、時代の変化の速度は随分違うが今年から70年前は終戦の年昭和20年である。この先十年の変わりようは想像もつかないことが起こっていることだろう。興味もあるが不安の方が大きい。年齢的に十年先も生きている自信もないが・・・。
健康とは! 生きている 生かされている
前段で漢字を覚えていることを記したが、中学生位までに記憶したものでほぼ70年程経っている。と自分では思っているがどうもそうではなくて度々その漢字を書いたり読んだりして脳で更新されていたせいで、ほかに大事なことを沢山忘れていることを忘れているだけだ。歳をとっても記憶力は衰えないと言う学者もいる。興味を持つかどうかが大事なことで、例えば俳優の名前などはじめからおぼえようとしないから覚えられないだけで、名前が出て来なくても心配ない。夕べ食事をしたかどうかを忘れては駄目だが、何を食べたかすぐに言えないのは大した献立でなかっただけと思えばいいことだ。ただ確かに頭のいい悪いはあって、一度読んだら直ぐに頭に入って年代や名前等細かい事まで記憶しているのには舌を巻く。折角の料理を覚えていないのはカメラに撮って頭にインプットしないからだ。一度で覚えられなければ何度でもいい読んで字にすればいい。漢字を覚えているのは、たまたま私が国語の教科が好きだったせいもある。人夫々好き嫌い趣味があるし親の好みが影響することもある。文系体育系の違いもあるし、動植物に興味があると小さい時から図鑑を読んだり手に取って観察して知識を増やすだろう。天文に興味があったら星座やそれにまつわるギリシャ神話がどれだけ面白く読んだことだろう。
オリンピックの選手は記録を伸ばすため、演技を上達するためにどれだけ血のにじむ訓練をし頭を使ったことだろう。文筆家も芸術家も才能だけで世間に認められたものではない。
ただ聖人君子真面目な人ばかりではこの世の中面白くなくて、いろいろな人が生活して成り立っている。
神様はいろんな人を作っておられる。能力も美醜も性格趣味も多種多様だ。その中の一人として今日まで大病をせず、災難にも免れて生きている 生かされていると自覚すべきであろう。