眼の健康とコンタクトレンズの専門医 医療法人社団 広辻眼科

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広辻眼科マンスリー 第m100

投稿日 2014年6月1日

マンスリー 100号になりました 

理事長 廣辻逸郎

平成18年3月に第1号を発刊して8年4ヶ月になります。患者さんとの繋がりの一助として、また眼科医の立場で私なりの健康感を拙い筆をすすめ、昨年11月当院の開院50周年記念にマンスリー90号までを『眼科医のつぶやき―目を通じて健康を考える―』の題で冊子にしました。平成19年に現院長が診療を担当してからは2面に『眼の病気』について専門的に且分かり易く解説しております。ご自分の病気について遠慮なく診察時にお聞きください。広辻眼科HPにお問い合わせ欄もありますからそちらを利用下さっても結構です。
10年一昔と言いますから8年はまだ昔ではありませんがこの間に医療保険・介護保険制度も種々変わり、診断・治療面でもめまぐるしく進歩しております。眼科に限ってもOCT(光干渉断層計)の普及で眼底疾患の診断が格段に正確になり治療に役立っています。近年増加してきた老人性黄斑変性症の治療薬も開発されて多くの失明からまぬかれる症例も出て来ました。再生医療研究の進歩で角膜・網膜の再生が出来、角膜手術はすでに実施され、網膜手術も近々行われそうで、失明への不安恐怖から解放されて患者さんだけでなく家族の方もどれだけか救われましょう。眼科医にとっても嬉しいことです。
ただ医学の進歩、高齢者比率の増加と共に医療看護費用の増大が避けられません。政府の経済諮問会議で規制緩和の名のもとに、現在の国民皆保険で貧富の差なく受けられる医療介護制が大きく変化しそうな気配があります。TPP問題は肉・米の農産物だけでなく、医療・介護でも外国(特に米国)の保険会社や薬品そして株式会社の病院が出現しそうです。
政治面でも随分と変わりました。自民党政治に飽きて新しい世の中をと国民の多くが願って出来た民主党は早々にぼろが出て一っぺんに支持されなくなりました。特に首相になった人の非常識にはあきれました。もう一人の首相も東北大地震と原発事故対策に的確な手が打てなかったと非難されて退陣しました。再び自民党政府になりデフレ解消、景気上昇、給料値上げをうたっておりますがどうでしょうか。社会保障費のためにと4月から消費税が8%になりました。5月になったら店の売り上げがぐっと減少したと新聞は書きたいでしょうが余り購買力は減っていないようです。GWの海外旅行も増えていますし、盛り場はよく混んでいます。阪急梅田にしか売っていないとカルビーの新製品に早朝から並んで開店早々に売切れとTVが報じていました。
今年1月に若い女性研究者がSTAP細胞を発見したと大々的に報道されて日本中大喜びしましたが、実験が不正確でデーターが捏造されていたと一転して暗いニュースになりました。日本の科学者の研究自体も疑問視される事件になりました。権威のある理化学研究所の研究全体まで疑われてしまって残念です。
暗いニュースばかりになりましたが、先日宝塚歌劇『ベルサイユのばら』を観劇しました。私は随分昔に淡島千景さんや南悠子さんらの舞台以来で満席での熱演に拍手しました。流石100年の歴史を誇る伝統の舞台で装置・照明・衣装や演出が素晴らしく、2時間半があっという間でした。研1年生のラインダンスも可愛くて拍手活采。みな良く練習していると思います。100年の間には戦争もあり、劇場の火災もあって決して平坦な道ではなかったでしょうが厳しい稽古に耐え、役を掴んで科白をと必死な彼女たちを見ているとすみれと花みずきのにあうこの街の歌劇を応援したいと思います。
100年と100号とは比較の対象になりませんが、これからも地域の眼科医療のお役に立てるよう広辻眼科医師職員一同一層努力致します。

村岡花子さんのことから

NHKの朝ドラ『花子とアン』が前回の『ごちそうさん』に続いて好評で私も毎日楽しみに視ている。私達の世代は『ラジオのおばさん』として村岡さんの名前は頭の何処かに残っていたという程度であったが、若い世代の人達は『赤毛のアン』の翻訳者としてよく知っておられたのでしょう。本好きだった娘は小学生の頃児童文学全集を愛読していた。成人して東京からお盆に帰って来たある時、しまってあった全集の中の『赤毛のアン』を探し出して来て、文章の中の一ヶ所矢張り私の記憶が正しかったと言っていたのを思い出す。子どもの頃の読書は脳に深く刻まれるのだろう。明治30年代特に農村は貧しくて学校に通うこともままならず、子守りをしながら学校に行くことなど現代の人達には理解できないだろう。
明治時代想像以上に貧しい生活であったが多くの子どもは字を覚え、読書を願っていた。勉強が出来る。中学校女学校へ進む家庭は村で一人か二人であった。読み書きそろばんそして礼儀作法を教わり働きに出て当然であった。このような明治大正そして昭和初期に比べて格段に生活環境が良くなった現代はどうであろうか。
先日松江まで旅をした。好天気に恵まれて新緑が映え、所々早や田植えが終わった水田にさざ波が光っている。整備された高速道路に山陰の向こうまで4時間足らずで到着出来た。途中のゲートも殆どの車がETCで停車せずに通過し、STでの休憩もトイレは清掃されて臭いもなく、障害者用も整備されている。売店の土産物売り場はその土地の名産を求めて活気が溢れている。会計も品物のバーコードに端末を当てて計算し、預り金と釣銭を速算して間違いはない。暗算することがなくなった。ナビを使って地図を見ることもなく、道路を覚えなくなった。先人のたゆまぬ努力のお陰で何と有難い生活が楽しめるのだろう。中国道路の『院の庄』を通ると何時も小学校で習った児島高徳の歌を思い出す。“船坂山や杉坂と/御跡慕いて院の庄/微衷をいかに聞こえんと/桜の幹の十字の詩/天匂践を空しゅうする勿れ/時に范れいなきにしもあらず”幽閉されていた後醍醐天皇を隠岐の島から助け出した話をどれだけ意味を理解して歌っていたか分からないが70年以上経った今も頭に刻まれている。昔何日も掛って幾つもの峠を越えての旅を気楽に終えて一筆。

健康とは! 病でみる日本史

日本医学史学会理事長で順天堂大学特任教授の酒井シズ博士がNHKラジオ深夜便に出演されて『病で見る日本史』の題で5月下旬話されていた。
 藤原道長は糖尿病、平清盛はマラリア、武田信玄・徳川家康は胃癌、西郷隆盛は陰嚢水腫であった。
酒井氏の『病が語る日本史』は縄文・弥生時代から現代に至るまでの日本での病気の歴史を考古学や古文書医学書等文献を渉猟して明快かつ興味深く記述されている。
縄文時代の人骨には鏃(やじり)が刺さったままや、骨折したもの、慢性関節炎も見られ、糞石からは寄生虫卵が出て、当時から回虫や肝吸虫その他の寄生虫に苦しめられたことが分かる。寄生虫病が全くなくなってはいないが、最近まで学校で糞便検査があったし、小学校でマクリ(駆虫剤)を飲んだ記憶の方も居られましょう。現在は大学でも寄生虫を研究する教室が希有になっている。
医学が進歩していない時代は病気は神仏の祟り或いは物の怪怨霊によるものと考え祈祷や陰陽師が重要視された。源氏物語には物の怪がよくでてくる。藤原全盛期(10世紀終)の古文書に道長が糖尿病で苦しんだ様子がうかがえる。清盛の病気について『おこり』と言われていたが、発熱の記録からマラリアと診断され、当時から海外貿易があってマラリア原虫を持つハマダラ蚊が入ってきたことが分かる。戦後南方から引き揚げてきた軍人でマラリア患者が多数いた記憶がある。徳川の鎖国時代からも海外からの伝染病渡来がなくもないが、コロンブスのアメリカ発見と梅毒の世界的流行は良く知られている。結核は枕草子・源氏物語にも記されストマイの発見される20世紀後半まで死病として恐れられていた。ペスト・天然痘の歴史も興味があるが余白がない。眼科のトラコーマは見られなくなった。50年前宝塚でもトラコーマで失明している老人がいた。白内障も安全な手術で失明から免れ高齢者の余生を楽しませている。
多くの伝染病から逃れられたがエイズなど新しい感染症も出現し、また心の病の多発も問題である。