眼の健康とコンタクトレンズの専門医 医療法人社団 広辻眼科

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眼の病気 No.e64

投稿日 2013年9月1日

眼科診療50年の進歩

院長 廣辻徳彦

広辻眼科が宝塚で開院して50年になります。今回は理事長から「眼科50年の進歩」というお題をもらったのですが、私自身が51歳、医師になってからでも27年目なので経験のない古い時代のことは調べられる範囲でご容赦いただきます。すべての進歩はとてもご紹介できませんが、白内障手術、緑内障治療などを中心に書いてみます。
現在の白内障手術は、水晶体の中身を細かく砕きながら吸い出し(超音波乳化吸引術)、眼内レンズを挿入する方法が一般的です。日本では年間100万件以上の手術が行われています。合併症のない眼では10-15分程度で終了し、身体への影響も少なく、半数以上が「日帰り手術」で行われています。今、こうした手術ができるのは、顕微鏡、手術器械、手術器具や手術手技の発達によるものです。眼科用の手術用顕微鏡は昭和20年代後半にドイツで開発され、日本では昭和40年代から普及してきました。この時代は顕微鏡を使うだけで画期的でしたが、現在ははるかに精巧な顕微鏡が使われています。眼内レンズが安全に使えるようになったのは昭和50年代からですが、材質や形状の改良が進み、現在は直径6ミリの眼内レンズが2.5ミリ程度の創口から挿入できます。白内障手術装置も高機能化し、侵襲も少なく安全性が高まっています。ほんの20年前まで角膜周囲を10ミリ近く切開し、何針も縫合し、術後は何時間も安静にしていた手術なのに、今は短時間で負担も少なく終了するようになりました。「簡単」と誤解されがちな白内障手術ですが、厚さ数ミクロンの水晶体膜を処理し、細かい操作を要求される結構な手術でもあるのです。さらに最近では、フェムトセカンドレーザーという器械で切開などを行い、質を高めた白内障手術もあります(まったく保険がきかない治療で、お金がたくさんある人専用の治療法とも言われていますが・・・)。
緑内障は今でもはっきりとした原因がわからない病気ですが、名前の由来は紀元前のヒポクラテスの時代までさかのぼります。眼圧が重要な役割を果たすことがわかってきたのは近代に入ってからです。日本で眼圧を下げる点眼薬(サンピロ)が販売されたのは昭和42年。その後、交感神経作動剤(エピスタ点眼)を経て、昭和56年年にβ遮断剤(チモプトール)が販売され、薬物療法の効果が高まりました。今ではプロスタグランジン製剤(キサラタン、トラバタンズ、ルミガン、タプロスなど)、炭酸脱水酵素阻害剤(トルソプト、エイゾプト)、α2作動剤(アイファガン)など、有効性の高い薬剤が使用できるようになり、緑内障の進行はかなり抑制できるようになりました。また、緑内障についての大規模疫学調査で、40歳以上の日本人の中で20人に1人が緑内障を有することがわかり、早期発見の意義が重要視されるようになりました。視神経や網膜の状態を把握する技術も進歩し、視神経や網膜の形状を測定するHRTやOCTという器械が開発され、より早期の発見と進行の判断に役立っています。自動視野計のプログラムも進化し、緑内障の進行を判断する有力な手段になっています。
緑内障手術には、「線維柱帯切開術」と「線維柱帯切除術」とレーザー治療があり、これも手技の改良などでより効果的な治療になっています。昨年からは「チューブシャント手術」という方法が日本でも使えるようになり、今までコントロールしにくかったタイプの眼にも有効性が期待できるようになっています。
他にも、角膜移植の分野では全層角膜移植といって角膜の中央部の入れ替えがメインであったものが、角膜内皮のみを移植できたり、拒絶反応の少ない方法(深層角膜移植)が開発されたりして驚くような進歩があります。角膜上皮細胞を自分の眼から取り出し、培養して利用する方法なども進行中です。iPS細胞を利用した黄斑変性症の治療の治験がいよいよ始まりますし、網膜色素変性症への対応も具体化していると報道されています。
ほんの一部しかご紹介できませんでしたが、今から50年後にはどんな医療の進化が待っているのでしょう。

眼科診療50年の進歩