眼の健康とコンタクトレンズの専門医 医療法人社団 広辻眼科

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広辻眼科マンスリー 第m86

投稿日 2013年4月1日

やっぱり日本はいい国だ 

理事長 廣辻逸郎

今年の初めある旅行社の企画した『東南アジア最後の桃源郷ラオス』の誘いに乗りました。未知の国への好奇心と、日本では得られない一枚が撮れたらという気持ちで応募しました。 3月半ばまだダウンが離せない宝塚から真夏の国への旅です。
最初の訪問地ルアンパバーンは町全体が世界遺産に登録されています。早朝近くの寺院からの太鼓と小鳥の囀り、そしてあちらこちらからの鶏の鳴き声に目が覚めます。ああ仏の国ラオスに来たのだ
ホテルの前の道では庭先で主婦が竈に薪を焚いています。ガスも炊飯器もありません。どの家でも朝食の準備をするのでなく朝食はあちこちの小さな庭先の店で取るようです。そして6時半になると托鉢僧が列をなして通ります。その托鉢僧一人一人に家の前に座って用意した米飯や菓子類を僧の差し出す鉢に喜捨します。先頭は年配ですが一番後ろを小学校の低学年の子供が小走りに付いて行きます。男の子は学校に入る頃寺に入ってお経を覚え、昼間は学校で勉強。終わればお寺に帰ります。女子は機を織り刺繍を覚えます。シルクの織物や刺繍は観光客に売ります。観光客は隣国のタイが一番多く、元仏領であったせいかフランス人や欧米人が目立ち日本人はまだ三万人以下とのことです。大学を出て収入が一万円ですから生活の状態が推察されます。乾期で連日晴天でしたが気温は37度38度で湿度が低いので木陰は助かります。道の舗装は十分でなく埃っぽいです。ブーゲンビリアや南国の花が見られ、チャンバーという国花がもう少ししたら満開ということです。高い建物がなくきらびやかな寺院が目立ちます。
チベットを源流にメコン川が町の中心を流れています。夕陽が素敵でした。下水処理が悪く、住民の清潔感はまだ非常に薄いです。ベトナム戦争の戦禍から漸く立ち直った感じです。山川草木、四季に恵まれ山奥まで舗装された日本は桃源郷でなんと幸せな国なのかと改めて実感して帰国しました。

健康とは!さまざまな生き方

前段でラオスの走り書きを記しました。水道の栓をひねると、そのまま飲むことも出来る清潔な水が出てトイレも綺麗に流してくれる日本で生活していると、とてもラオスで暮らそうとは思えません。ガイドをしてくれたラオスの青年の家を案内してくれましたが、炊事・洗濯・水洗・飲料と使い分けをしていました。旅行中にラオス料理も出ましたが、まず生ものは果物だけでした。肉は言うまでもありませんが野菜も魚も油で炒めるか天ぷらにしてあります。地元の人も生ものは食しないように見受けました。消化器伝染病が一旦発生したら医療機関も少ないし大変なことは自然と教わっているのでしょう。おそらく浄化槽も通らない汚水も受け入れて滔々と流れるメコン川で獲れたであろう魚料理は余計なことは考えずに口にしました。どの国の住民もその土地の生活環境に合った生活を送っています。
私達高齢者が生まれた時代、大阪の都会でもまだトイレは汲み取り式で、周辺の農家が朝早く各家を回って汲み取り、畑の大きな桶に溜めて肥料にしました。当然寄生虫特に回虫の保有率は高く、腹痛の訴えは回虫症の診断で駆虫剤の処方で略間違いありませんでした。もうそんなことは若い世代は知らない国です。
一方機械化も進んで、労働条件が変わり、いわゆる重労働が少なくなり、食事内容も変わって、頬骨の張ったごつい体格の男性は少なくイケメンの草食男子が囃され、女子は強くはなりましたが、手も足も細くて重いものは持てません。ラオスにも欧米人を多く見ましたが、大きなリュックを背負い、単独で逞しい感じの女性が目立ちました。安いホテルで、自転車を利用し、地球を見て歩こう自分で確かめようとしています。
100年足らず日本人の生活環境は随分と変わりました。国民性にもよりましょうがラオスも変わりましょう。
自然を維持しながら世界中が安全・平和に過ごせることを願ってやみません。