春は曙
理事長 廣辻逸郎
春はあけぼの。やうやうしろくなり行く、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。(枕草子)
久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらん(紀友則)
菜の花や月は東に日は西に(蕪村)
春のうららの隅田川/のぼりくだりの船人が/櫂のしづくも花と散る/ながめを何にたとうべき(小学唱歌)
古から文章に詩歌に記され詠われた日本の春はなんとのどやかでまたおおらかに迎えたのでしょうか。
暖房も無く、雪に閉ざされた生活から解放されて木や草の芽ぶきをどんなに待ちこがれたことでしょう。
そのような時代に比べて冷暖房完備交通至便な世に住む現代人の心のすさびのなんと寒々しいことでしょう。
先般当院で職員募集をしたところ、履歴書が百枚近く送られてきました。高学歴で素敵な能力を持った方がどうして就職出来ずにいるのか理解出来ない位です。そして派遣期間が済んだ。パートバイトでなく正社員を希望するが大多数で、現在の雇用関係は如何に企業が人件費削減に懸命か、人を人でなく物として扱っているかに腹立たしくなって来ました。戦前まだ丁稚奉公がありましたが手に職を付けるため最後は暖簾分けなどの道がありました。派遣やパートでは安心して結婚も子育ても出来ずひいては国力の低下に繋がります。人件費の削減で企業が利益を出してうわべは景気が良くなったと言っても庶民の懐に余裕が無くては不景気風が吹いて当然でしょう。
朝早くから夜遅くまで通勤電車は混んで本当に日本人はよく働く。でもこの中で正社員はどれだけだろう。ローンの支払いに追われている人はいないだろうかと思うと心寒くなって春はまだまだ遠く感じるのです。
健康とは! なぜ私がこんな病気に!
世の中不平等で、いいことの続く人は次々と幸運に恵まれて満面に笑みを浮かべるのに、反対になすことすること失敗続きで、病人や怪我人まで出て来て天を仰いで恨みます。神の与えられた試練だから感謝して祈りましょうと牧師さんは諭されますが信仰薄き俗人には中々難問です。
誰も病気に罹りたい人はおりません。病気とは言えなくても肌のシミは気になります。顔や手首の目立つところの老人斑も個人差があります。私は全く無防備無処置ですがまだ目立った老人斑が出ておりません。テレビで天皇や皇后さんにも出ているのを見ます。体質という科学的で文学的な言葉で納得しています。
科学医学の進歩で随分と病気・遺伝や免疫のメカニズムが解明されてきました。もう古い頭では簡単に理解出来ません。とても難しいです。誰もがなぜこんな病気になったのかと嘆き恨みます。
人間は癌を始め色んな病気の素になるDNAを一杯持って生まれてきています。その病気の素を如何に抑えなだめるか。医者らしくない言葉ですが、つまるところ薬やサプリメントが病気を抑えるのでない、日ごろの食事・睡眠・運動が健康を得る基本です。規則正しい生活習慣(生体リズムの調整)。心の平穏(自律神経の平衡)。適度の労働(体力保持)が免疫力を増強し発病を抑止してくれます。
現実には日々仕事に追われ、育児にかかわり、収入もままならず、職場で家庭で人間関係が難しくて心身ともに痛めつけられている人の多いことを否定出来ません。病気でないことが有りがたい、有難いことと感謝して日々過ごしましょう。言葉足らずですが私の発病に対する基本的な考え方を記しました。