眼の健康とコンタクトレンズの専門医 医療法人社団 広辻眼科

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広辻眼科マンスリー 第m181

投稿日 2021年3月1日

短い2月の間に

院長 廣辻徳彦

2月は一月の日数が2、3日短いだけなのに、あっという間に過ぎていってしまう感じがします。この短い1ヶ月の間にオリンピック委員会の会長であった森元首相が失言し、その謝罪会見での対応の悪さゆえに収束に失敗し辞任に至るという事件がありました。発言の何が問題だったのかを振り返らないまま、「謝罪をしたからこれでおしまい」、「撤回したのでなかったことに」、では何を謝罪しているのかわかりません。森元首相は辞任後の会見でも「解釈の違い」という迷言を述べていたので、結局最後まで何も理解できなかったのだと思われます。私も家庭で妻を怒らせた時に、こういう言い訳をしないよう気をつけないといけません。日本ではこの数年でという印象ですが、世界、特に欧米では、ジェンダーに関する発言や行動は特に留意すべきものの一つになっています。下欄の「健康とは!」でこのことを考えてみます。
コロナ対策の舵取りをする菅首相に息子の接待疑惑が浮上しました。総務省の役人に対して、衛星放送などを手がける会社の役員である息子さんたちが高級料理やお土産で接待をしたという話です。コロナウイルス感染という環境がなければ、公務員以外の多くの職種で接待があるはずと思います。その昔、私たち医師も、国公立病院の勤務医以外は製薬会社の人たちと会食をしていた時代がありました。それでも20年近く前からは製薬会社の業界内コンプライアンスが働くようになり、今では開業医でも会食やゴルフなどすべてがNGで、ボールペンや年始のカレンダーをもらうことすらありません。そんな時代に総務省の幹部名簿に名前が載るような「超」トップの人が、許認可権限に一番関連する企業の重役と食事の場を共にするなど、ワキが甘いとか意識が低いとかしか言いようがない出来事です。菅内閣の女性内閣広報官も、総務審議官という省内では事務次官に次ぐ地位にあった人です。なんらかの配慮があったことがわかれば、立派な贈収賄になってしまいます(調査もせずに減給、更迭などの処分ですんでしまいそうですが)。農水省でも似たような処分がありましたが、一部の意識の低いトップのせいで公務員が白い目を向けられたらかわいそうです。コロナ対策で寝る間もなく働いている保健所の職員も多いので、本当に反省して欲しいものです。現在、私の高校時代の同級生が、ある省(総務省や農水省ではありません)の事務次官をしています。いつか現役を退いて同窓会で会うことがあれば、オフレコで苦労話など聞いてみたいとも思いました。

健康とは!(ジェンダーについて少しだけ)

森元首相の失言については発言の一部だけを切り取ったとかの擁護論も聞かれますが、「女性の」とか「男性は」という枕詞で発言すれば、現代では問題となります。謝罪会見でも、「(世の中には)女性と男性しかいないんですから。もちろん両性っていうのもありますけどね」、とおっしゃっていました。きっと、「女性と男性しか」と言ったところで、場の雰囲気に気づいて思わず「両性」と口に出してしまったのでしょう。今ではLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)という言葉もよく知られていて、それ以外にも、パンセクシャル、クエスチョニング、アセクシュアル、Xジェンダーといった性のあり方も考えられています。知らないうちに世の中は先へ進んでいるのです。両性という言葉で包括できない人に想いを寄せられない時点で、謝罪は失敗していたのです。
性について、4要素(身体的性、性自認、性表現、性的指向)で考えるという記載を見つけました。どんな身体をしているか、自分の性をどう感じているか、どのような表現をするか、どんな相手に性的魅力を感じるか、と言い換えられます。これだけでも16通りの分類になりますし、程度の差もあります。性的魅力を感じる相手がいない、もしくは男性にも女性にも魅力を感じる場合もあります。手術やホルモン治療で外見を変えることでも異なってきます。人間以外の動物は、多くが身体的性のみで分類され子孫を残すことが生存の基礎になっています。しかし、「思考力」を持って社会を営んでいる人類が、数多くのバリエーションのある性表現の考えを自覚するようになるのは当然の流れなのかもしれません。中には「ジェンダー警察」ともいえる言動も見受けられますが、長い間弱い立場に置かれていた女性やジェンダーに関する少数派の立ち位置を改善するためには、ある程度の強いうねりが必要なのだろうと思います。労働環境でも性差ゆえの差別は許されませんし、求人や履歴書からも性別の記載がなくなっていく流れになっているようです。こういう考えに疑問を感じたり、逆に嫌悪感を感じたりすることがあるのも自由なのですが、心の中に留めておくべきでしょう。今はそう考えている人も、できれば多様性があるということを認識し、受け入れていくようになっていって欲しいと思います。