過ぎていく日々のこと
院長 廣辻徳彦
風が冷たくなり、今年も十二月となりました。毎日何かをしながら生活しているはずですが、十二月は特に時間があわただしく過ぎていきます。先月お伝えした理事長の急逝からいろいろな手続きをしつつ、もう一ヶ月半も経ってしまったかという感じです。さて、理事長は平成二十六年秋に、長年学校医をしていたことで「瑞宝双光章」を受章しましたが、今回「従六位」の奏授をいただくことになりました。この場をお借りして、ご報告させていただきます。
日々の経過といえば、大人になると早く一年が過ぎていくとよく耳にします。確かに子供の頃はいろいろなことをして、一日中、一年中楽しんでいたような気がします。子供と大人とでは時間の感じ方が違うということを耳にされたこともあるでしょう。心理学や脳科学では「時間知覚」という概念があるそうです。経過している時間自体は全く同じなのに、集中していたり楽しいことだったりだと時間を早く感じる、退屈な時間は長く感じるという感覚です。また、初めてのことをする、自分が知らないところに行くなどという新しい経験をする場合に、脳は時間を長く感じるようにできています。子供の頃は、いろいろなところへ出かけては虫や小魚を探す、夏休みには田舎に出かける、など初めての経験をすることが多いので時間を長く感じると言われています。逆に大人は日々の仕事が大体同じ調子で過ぎ、その経過や結果がある程度予想できるので、「ああ、またいつの間にか一日が終わったな」という感覚になってしまいます。土日や休日の過ごし方もだいたい決まっている日々、春夏秋冬も逆転はしませんから、大人になる程日々の経過を早く感じます。皆さんもそうではありませんか。
十代のころの自分の感覚では「かなりの年齢」と思っていた還暦近くの年になって、いつの間にそうなったのかと不思議に思うこともあります。「人生九十年」が標準になりつつある現在、今の還暦は昔の三―四十代程度、いやそれ以下なのかもしれません。幕末の志士や大正、昭和初期の青年たちが十代で日本を憂い、二十代や三十代で散っていった時代は、まだそんなに昔でもありません。そう思えば、私たちには使える時間がたくさんあるはずです。今からでも新しいことに挑戦して、同じ長さの時間をできるだけ有効に使いたいものです。
健康とは! 健康って何でしょう
この「健康とは!」という欄をこれから続けるにあたって、改めて「健康」という言葉について考えてみました。昔なら広辞苑か百科事典のページをめくるところなのでしょうが、今の時代、調べるといえば「ウィキペディア」、早速引用させていただきましょう。世界保健機関(WHO)が1948年に設立された時の憲章の前文に健康の定義があるようです。それによると「健康」とは『身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない。』とされていす。現在はその定義に少し追加の言葉を入れることも提案されているそうですが、少しくだいて考えると、「風邪をひいていないとかケガをしていないだけでなく、心身ともに元気でお金や社会的立場にも困っていない状態」と言い換えられるかと思います。普通に私たちは「健康=心身ともに健やか」考えていることが多いのですが、「社会的に」という要因も大事だということです。
確かに、身体が元気であっても、絶えずテロの恐怖におびえているような環境下では心が休まることはありませんし、それなりの金銭的余裕がなければ病気になっても十分な治療が受けられず、病気そのものの心配に加えてその先の不安が募るでしょう。先日ニュースで、虫歯の多い児童は「虐待」傾向にある可能性があるので注意が必要だと聞きました。表現はむつかしいところですが、虐待もどちらかといえば恵まれていない家庭に多いといわれています。健康を維持するために、社会的支えが必要というのは理解できるところです。戦争やテロなど外的な要因も無くなって欲しいですし、社会のセーフティーネットの充実も健康には不可欠だと思われます。
もちろん同じような経済的、社会的立場であっても、それを満足に思うか不満に思うかには個人差があるので、健康に関連する心の満足度に差が出ることもあるでしょう。健康も社会的安定がある上に考えなければいけないというところは、「衣食足って礼節を知る」という言葉につながるところもあるのかと改めて考えたりもしました。