暦の上では春ですが
理事長 廣辻逸郎
新年お正月を迎えたばかりですが早2月の声を聞きます。
3日が節分。4日が立春になります。時代の変化と共に季節の行事も段々と変わってきました。節分には豆をまいて鬼払いを各家でしました。私も当日三宝に豆を盛って、父を頭に全員各部屋に「鬼は外福は内」と唱えながら豆を撒き、最後は玄関で「鬼は外鬼は外」と叫びながらドンドンドンと戸を叩いて鬼をおっ払い、歳の数に一つ足して豆を取り一つは頭上を越して食べました。鰯も食べました。豆も鰯も庶民の食べ物です。それでささやかに家族の健康・安全と商売繁盛を願ったのです。
宝塚に来てからもその風習を続けましたが、子ども達中学生頃になるとカッコ悪いとついてこなくなり中断しました。そして最近は長い巻き寿司を恵方を向いて黙って食べるという変な習慣が出来てきました。
家の豆撒き行事が済むと母と一緒に氏神さんにお参りに行きます。雪のちらつく光景を思い出します。節分と日の紀元節(建国記念日)は雪の印象が強いです。地球の温暖化が進んでいるのでしょうか、宝塚で雪を見ることは稀になりました。
もう一つ寒い頃の食べ物粕汁の思い出を。
かす汁のちぎりこんにゃく母の味(いつを)
随分昔に作りましたが私の好きな一句です。粕汁のこんにゃくが手でちぎった方が美味しいと言うのでしょうが、うす揚げと白葱と蒟蒻くらいしか入ってなくても食卓の真中に乗ったあつあつの粕汁のお鍋、何杯もおかわりしました。これが母の味と言うものでしょう。
9人の子どもを産み、一人を急性伝染病で亡くした母は子どもの成長のみを願ってそれだけの一生でした。勉強をしなさいは一切なし。ただただ子ども達の空腹を満たす工夫に明け暮れていました。安くて量のあるものを求めて一日に何度も市場に通うことを厭わず、お料理番組のない時代何処からか情報を取ってきて新しいメニューが食膳に上りました。。兄弟喧嘩をしても止めませんが、子どもが病気すると悲しい顔をします。子どもが熱を出したら、必ず咽頭を見て白い苔の有無を確かめました。ジフテリアでなければ寝とれば治る。そして便を確かめました。赤痢疫痢を恐れました。昔の親は学歴に関係なく、必死に子どもを守りました。
父も勉強せよと一度も言いませんが、よく読書して博識で、菅原道真のフアンでした。親の背中を見て子は育つ。さて我が家の息子達どんな目で両親の背中を見て育ったでしょうか。
健康とは! 再び抗加齢医学(アンチエージング)について
丁度一年前(19年2月号)抗加齢医学についての私見を書きました。先日同じ講師からサプリメントの話を聞きました。その時述べた指導者の某教授はサプリメントを一日80錠から現在70錠に最後は50錠位に抑えたいと言われているようですが、50錠でもとてつもない量ですし、当然マイナス効果が考えられます。止血剤服用者はV.Cと、抗高血圧剤も配合禁忌があります。健康になりたいと、高価なサプリメントを購入しても、食品扱いで内容に何の保証も無いことを承知で購入服用されているのか。広告に惑わされないで、充分調べた上で購入されることをお勧めします。効果が無くても、副作用がなければと思われる方はそうでもないことを承知して服用してください。
アンチエージングに対し、アクセプトエージング(年令相応)を考えようという運動もあります。
長寿社会になって、誰もが死ぬまでぴんぴん呆けず生きたいと願います。女性は特に美しくありたいと願われましょう。そのためにはサプリメントに頼られる気持ちは理解できます。それに対して年齢相応というと非常に消極的な生き方と考えられますが、60を過ぎ,高齢になると共に食事量・運動量が減って当り前です。ただ一日家にいて、テレビ番をし、ぐーたら間食するような生活はごめんです。頭を使い、手足を動かして実働しましょう。
辛口批評家の曽野綾子氏は、自分の手で自分の口に食事を運ぶことが出来、自分で排泄のための体の動きが出来ればまだ生きていてもよい。しかしそれさえ不可能になった時人は自然に生命を収束させるのが当然だ。と述べています。
各人生命に対する価値観は様々ですが、折角生き長らえたこの命をどう生かしましょうか。