眼の健康とコンタクトレンズの専門医 医療法人社団 広辻眼科

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広辻眼科マンスリー 第m248号

投稿日 2026年10月1日

スポーツの秋(国民スポーツ大会) 

院長 廣辻徳彦

ようやく秋らしい空気を感じるようになりました。9月も千葉県を中心に関東南部で大雨による水害が起こり、浸水や土砂災害などの深刻な被害が出ています。被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
10月12日は「スポーツの日」です。元々は、1964年の東京五輪開会式の10月10日を記念した「体育の日」でしたが、ハッピーマンデー制度のため第2月曜日になり、名称も2020年に変更されました。秋は昔から運動会やスポーツ大会の季節で、現在も愛知・名古屋でアジア競技大会が開催されています。また、10月10日からは、青森県で「第80回国民スポーツ大会」が開催されます。「国民スポーツ大会」は、長らく「国民体育大会(国体)」と呼ばれていましたが、2024年から名称が変わりました。戦後間もない1946年にスポーツを通じて荒廃した社会を元気づける目的などで、京阪神地方で第1回が開催されました。その後は都道府県持ち回りで開催され、地域のスポーツを盛り上げ、競技施設を整備するきっかけを作ったことは大きな功績でしょう。一方、いつの頃からか「開催県の総合優勝(天皇杯獲得)」が目標となり、開催を控えた県が何年も前から有力選手を教員や職員として採用し、育成することも行われてきました。2027年開催の宮崎県でも、そういった選手を採用する制度があるようです。地域の競技力向上というメリットの反面、「順位を争うことが国民のスポーツ振興の目的に適うか」ということの議論がされています。さらに競技場や体育館を新設した後の維持費が、自治体の負担になることも問題になってきました。現在は、「過剰な選手集め、ハコモノ投資はしない」という方針を打ち出す県もあるようで、既存施設の活用などで「今あるものを使い、持続可能で身の丈に合ったスポーツ大会を目指す」という流れも出てきているようです。
私にとっての体育大会は、医学部の学生だけが参加する「西医体(西日本医科学生総合体育大会:東日本では「東医体」)という大会でした。1万人以上が参加する規模の大会で、夏休みの間に競技が行われます(私もラグビーで参加していました)。医学部レベルとはありますが、それなりには頑張っていました。スポーツは最終的に勝敗を競うものなので結果は重要です。ですが、仲間と一緒に汗を流した時間や苦しかった練習、試合後の喜びや悔しさの記憶こそが大切なのだと思います。涼しくなってきたこの時期、スポーツは見るだけでも楽しいですが、散歩や体操などでいいので身体を動かす機会を作ってはいかがでしょう。

健康とは!(目薬の木と眼病平癒)

先日、旅先のおみやげ物屋さんで「目薬の木」というものを見つけました。網袋の中には木の皮が入っていて、それを煎じて飲むのだそうです。調べると、ジアリルヘプタノイド(アセロサイド類)という成分が含まれ、抗炎症作用(かゆみや腫れを抑える)、抗酸化作用(老化防止:白内障に効く?)、血行促進作用(眼精疲労にいい?)などの効果があるようです。もちろんそれだけで治療薬になるわけではありませんが、「(目のために)お茶として飲めばいい」と考えた昔の人の知識や知恵には驚かされます。
健康を欲する願いは、信仰にも結びついています。マツコさんのテレビで、青森市の石神神社の御神体である巨石の「石神様」が紹介されていました。石には2つのくぼみがあって、人の顔にも見える不思議な石です。古事記で黄泉の国から帰ってきた伊邪那岐命が左目を洗うと天照大御神、右目を洗うと月読命が生まれたという話から、くぼみに溜まった水に眼病平癒の霊験があるという言い伝えがあります。近畿地方で探してみると、京都祇園の仲源寺の本尊の地蔵観音は「目疾(めやみ)地蔵」と呼ばれています。もともとは鴨川の洪水を鎮めたという謂れの「雨止(あめやみ)地蔵」が、いつしか「目疾」に変わり、眼病平癒のお地蔵様とされるようになったといいます。長岡京市の楊谷寺の本尊である十一面千手観音菩薩は、「柳谷観音」と称されます。弘法大師(空海)がこの地を訪れた際、近くの溜まり水で目の潰れた子ザルの目を親ザルが洗っている姿を目撃し、17日間祈祷を施したところ子ザルの目が開いたことから、眼病に悩む人々のための霊水「独鈷水(おこうずい)」にしたと伝えられています。奈良県の南法華寺(壷阪寺)の本尊である十一面千手観音菩薩も、平安時代から「眼病に霊験あらたかな観音様」として伝わります。人形浄瑠璃「壺阪霊験記」で、盲目の夫、沢市と妻のお里の命を取り留め、沢市の目が奇跡的に開いたという話の舞台となっていて、現在も眼病平癒の祈祷を行なっているそうです。この他にも伏見稲荷大社の眼力社、富田林の瀧谷不動明王寺など眼病への信仰を集める寺社があります。
医療が十分でなかった時代、身体に関する不安は現代と比較にならなかったでしょう。昔の人は経験的に木を煎じ、湧き水や観音様に祈りました。科学的な知見は間違いなく進歩していますが、今でも治療ができない病気があります。天災や戦争、病気など、自分の力でどうにもできない時に、「神様!」と思うこともよくあります。そういうことは、存外、昔も今もあまり変わっていないものなのかもしれません。